台湾時事

首里城の木材には台湾ヒノキも使われていた

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2019年10月31日未明に発生した沖縄の首里城の火災では、正殿を始めとして北殿、南殿、書院などが全焼し、展示されていた絵画や工芸品も焼失したと見られています。

沖縄のシンボルであり、沖縄の人々の心の拠り所でもある首里城が焼け落ちる姿を目の当たりにして衝撃を受け、非常に悲しい気持ちになったのは私だけでなく多くの方が同じだったのではないでしょうか。

今回焼失した正殿は1992年に再建が始まったもので、30年もの年月を経て今年2019年に全ての再建作業が完了したところでした。

地理的も文化的にも非常に近い台湾からも年間90万人を超える観光客が訪れ、必ず訪れるであろう首里城の火災の件は台湾のメディアでも大きく報道されました。また、前回の再建において使用された木材の一部は台湾からも運ばれていたと言われており、台湾とは少なからず所縁があります。その経緯を少し見てみましょう。

首里城で使われていたのは宜蘭のヒノキだった

台湾では1989年に一級天然材の伐採が禁止されており、さらに1992年に各級を含む天然材が全面伐採禁止となりました。台湾のヒノキは品質が良く、香りが高く且つサイズが安定していることから建築材料としては非常に重宝され、日本の神社や宮殿の補修等に非常に重宝されてきました。有名なところでは明治神宮の大鳥居は台湾の檜が使われています。

当時すでに檜材の伐採は禁止されていた

当時の記録では、首里城で使われていた檜は宜蘭県羅東から沖縄へ運ばれたようです。ただ1992年当時、既に全ての天然材の伐採は禁止をされており、新たに再建に適した檜材を伐採することは困難でした。農業委員会林務局によれば、現在は羅東林業文化園區となっている場所において、水中につけられた状態で木材が保存されていました。水中においた状態の方が長期に保管できるそうなのです。ちなみにこの方法は水中貯木と呼ばれ、檜や欅などは5年ほど水につけておくと、心材(内側)と辺材(外側)の乾燥差が小さくなり割れにくくなるそうです。恐らくこの貯木されていた中から首里城へ木材が運ばれたのではないかと言われています。

木材の出所として考えられるのは2箇所

当時、首里城で使われた檜の出元はいずれかではないかと推察されており、ひとつは当時退役軍人の保護の為に材木場を経営させて退役軍人を保護するための費用として当てていました。もう一方は林務局で、いずれも民間業者が競り落とした後、日本の業者に引き渡されたのではないかとされています。

再び日本への木材提供は可能か?

1992年以前に伐採され、保管されていた天然材はいずれも在庫が底をついていると考えられ、現状では再び台湾から建築に使える品質と必要量の天然材を提供するのは困難と考えられます。

個人的には何とか再建をしてほしいと願っています。引き続き、今後の推移を見守りたいと思います。

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